「憧れの世界」を現実に ー 慶應義塾からアメリカへ、15歳の挑戦と成長のストーリー

体験・経験

はじめに

慶應義塾幼稚舎から慶應義塾中等部へと進学し、充実した学校生活を送る一方で、中学生の頃から真剣に自らの進路と向き合い始めた松岡萌氏。英語を流暢に話す両親の姿や、『ディズニー・チャンネル』『ハイスクール・ミュージカル』といったアメリカのポップカルチャーへの強い憧れから、高校での米国留学を決意しました。

本インタビューでは、現在は社会人としてインターナショナルに活躍される松岡氏に、15歳で単身アメリカへと渡った際の経験を振り返っていただき、留学を決意した背景、準備の過程、現地での試行錯誤、そして価値観が「真逆になる」ほどの成長体験について、率直に語っていただきました。

留学への道 ー 憧れから決断へ

日本での日々と芽生えた「違う挑戦」への思い

ーー まず、簡単に自己紹介をお願いできますでしょうか

小学校は慶應義塾幼稚舎に入学して、すごく充実した学校生活を送らせてもらいました。受験勉強に専念しなくてよいため、自分の好きなことであるスポーツなどの活動に時間をたくさん使えた、幸せな小学校時代でした。そこから慶應義塾中等部に入学して、部活の仲間をはじめたくさんの友達に囲まれながら、そこでの生活も楽しかった思い出があります。一方で、「今後どのような道を歩んでいきたいか」という視点で考えたときに、私自身はこれまで取り組んできたこととは他のことに挑戦してみたい、周りの人たちがやってないことをやりたい、という興味が中学1年生の頃くらいから生まれ始めていました。

海外経験という文脈でお話しすると、私の両親はどちらも海外経験があります。母は帰国子女でニューヨークに住んでいた経験があり、父は大学を卒業後にアメリカに留学していました。家族旅行で海外に行くときも、両親どちらも英語がすごく流暢に話せるし、旅行先でも海外の友達がいて、その人たちと一緒に過ごすような経験があったからこそ、私も英語を喋りたいというのがまずベースにありました。それにプラスして、やっぱり純粋に海外が好きだという気持ちがあり、特にアメリカに憧れを持っていました。一番大きかったのは『ディズニー・チャンネル』だったと思うんですけど、もう『ディズニー・チャンネル』が大好きすぎて、「その世界に入りたい!『ハイスクール・ミュージカル』の中に入りたい!」みたいな憧れがありました。

具体化していく留学計画と家族のサポート

ーー 留学という選択肢について、具体的に考え始められたのはいつ頃からでしょうか

中学2年生頃から、中学卒業後の進路について考えはじめました。親にも当時私の考えていたことを伝え、ありがたいことに私の考えに賛成してくれました。やりたいことがあるなら全力でサポートしてくれるということで、サマーキャンプへの参加や受験塾に通うことも始めました。

その後、中学3年生でボーディングスクールを受験して、結果としてアメリカのマサチューセッツ州にあるBerkshire Schoolというボーディングスクールに入学し、そこから私の人生が変わっていった気がします。

ーー 留学準備の過程では、どのような思いで取り組まれていたのでしょうか

受験することや知らないところに行くということは、私自身にとって大きなチャレンジではありましたが、怖いという思いは全然ありませんでした。むしろ、留学先で自分が実際に生活している姿を想像すると、もう楽しみで仕方がなかったです。自分が憧れる世界に入りたいから、辛いことがあっても「やりたいことをやっている」という感じでした。自分の人生の大きな決断を自身で行うという機会を得ることは、私にとってすごくワクワクすることでした。

ーー 準備の過程で大変だったことや、苦労された点についてもお聞かせいただけますか

もちろんTOEFLの勉強とかSSATの勉強とかは思うようには結果が出ず葛藤する時期はありました。ただ、それが嫌で諦めるとか妥協するという考えはなかったです。暇さえあれば学校のウェブサイトを検索して、そこに掲載されている学校の様子などがわかる写真を見ながら「こんなところで学んでみたいな」って思っていました。早くこの生活を経験したい、この人たちの一員になりたい、というようなモチベーションがすごく大きかったのだと思います。

学校選びのプロセス ー 現地訪問の重要性

ーー 学校選びについては、どのようなプロセスで進められたのでしょうか

私の場合は、中学2年生の夏前に留学コンサルティングのサービスを活用していろんな学校を紹介してもらい始めました。その夏、夏休みの間に私は英語を勉強するためにアメリカのキャンプに1ヶ月間ぐらい入っていて、その間に、母が車を借りて東海岸にある「いいな」と思う学校を全部ドライブして回って、本当に私に合う学校を一緒に探してくれました。そこから、約20校から多分10校ぐらいに候補を絞って、そこから受験をし始めました。

ーー 合格後の最終的な学校選びは、どのように行われたのですか

アメリカの高校では「リビジットデー (Revisit Day) 」という日を用意している学校があって、受験に合格した学校から招待されて、「あなたがここの学校に入ったらこういう1日が過ごせますよ」という体験をさせてもらえるんです。リビジットデーで、私は3月にもう1回アメリカに行って、1日ついてくれるガイド役の生徒と同じ授業を受けて、その人と一緒にランチを食べて、どんな1日をここの学校に入ったら送れるのかというのを実際に体験しました。最後にそれをやって、結構悩んだんですけど、やっぱりこの学校が一番いいと言ってBerkshire Schoolに決めました。

ーー 学校選びにおいて、特に大切だとお感じになったことは何でしょうか

オンラインの情報やアドミッション担当者との日本での面接だけではなくて、やっぱり実際に行くことで、学校の生徒の雰囲気や先生の雰囲気が見られるから、もし余裕があるのであれば、実際に学校に行ってみることはすごくオススメです。そうでなくても、日本人の生徒や卒業生がいらっしゃれば、その方たちに紹介してもらって、できるだけ生徒や卒業生の声というのを聞くとか、いろんな話を聞くことがすごく大事だなと思います。

言語と文化の壁 ー 試行錯誤の1年間

「雰囲気で喋る」レベルからのスタート

ーー 留学前の英語力について、率直にお聞かせいただけますか

英語は大好きですが苦手でした。最初はうまく話せないので、仕方なく雰囲気で喋っている感じでした。中学のときに発音を褒められたことがあるので、自分では勝手にうまいと思っていたのですが、実際にはとても苦戦しました。

ボーディングスクール受験の面接の段階では、自己紹介以外の質問に対しては、その面接のために必死に覚えたフレーズを言おうと頑張ることしかできなかったです。例えば「なぜこの学校を志望するのか」と聞かれたら、「I love the atmosphere」みたいにごく限られたフレーズを面接が終了するまで10回ぐらい言い続ける、みたいなレベルの英語力でした。

ーー そこからどのようにして英語力を向上させていかれたのでしょうか

日常会話については、3ヶ月くらいその場所にいたら慣れて喋れるようになるのでは、といった話を聞くことはありましたが、私は実際には1年かかりました。現地で生活し始めてからだいだい1年くらいして夏休みのサマーキャンプに参加した際、「あれ、私、会話分かるし、言いたいことが伝えられている!」と思ったのを鮮明に覚えています。自分から積極的に話ができるようになったり、自分の気持ちを正直に伝えられるようになったりしたのが、滞在1年目から2年目に変わる夏でした。それまでは、例えば、放課後のアクティビティについて「何やるの?」と友人に聞かれて、私はラクロスがやりたかったから「ラクロスがしたい」と言うと、おそらくLとRの発音の違いがうまく表現できておらず、「ラクロス」という言葉が伝わらなくて、、、もう全然違う答えが返ってくるわけです。「何、バレーボールやりたいの?」みたいな感じで、全然伝わらない時期が1年くらいありました。

授業での苦闘と試行錯誤

ーー 学校の授業においても、苦労はありましたか

本当に試行錯誤の連続でした。英語と日本語の2言語で用語が書いてある参考書を日本から取り寄せるなど、どうすればよいか一生懸命考えて色々試しました。ただ、授業の内容によっては日本語でも簡単には理解できないものも多く、日本語で勉強してから英語で勉強するのがいいのか、それとも最初から英語で勉強するのがいいのか、など葛藤がありました。

アメリカのカルチャー ー スポーツと行事が育んだ自信

ーー アメリカの高校生活で印象的だったエピソードについて、お聞かせいただけますか

私は『ハイスクール・ミュージカル』の世界に憧れてアメリカの高校に行ったんですけど、その感じとは全く違ったんですよね。でも、やっぱりアメリカのカルチャーは生徒を楽しませる、先生と一緒に楽しむとか、やっぱりそんな行事が多かったです。1、2ヶ月に1回は土曜日にダンスパーティーがあって、そのためにみんなでドレスアップして「どの洋服を着るか」みたいな話をみんなでするのも日本ではあまり考えられないことじゃないですか。みんなめっちゃ化粧してハイヒール履いて、でもそれが普通な感じがあって。学校の食堂で机を移動させて、DJがいてミラーボールつけて踊っているという感じだったんですけど、そういうアメリカのカルチャーに触れられるというのは私の憧れだったから、すごく楽しかったです。

ーー スポーツ活動についても詳しく教えていただけますでしょうか

最初に私は秋のスポーツでサッカーをやり始めたんですけど、そのときは毎週金曜日は練習をキャプテンがリードする日みたいな、どれだけ楽しくするかみたいな日があったりしました。その日は練習着のテーマとかが決まっているんですよね。例えばピンクを着てくるとか全員で同じユニフォームを着るみたいな、そういうのとかもやっぱりアメリカは自由だし、なんだか楽しくポップな感じで「私が憧れていた生活ってこれだな」と思いました。

あと、スポーツは意外と得意だったので、そこで結構友達ができたというのはすごくあると思います。そのときの自分は全部勉強においても言語においても自信がなかったけど、アジア人でスポーツができたりする人って意外と少ない印象でした。私の周りではトップチームに入れるアジア人も少なかったし、そこで闘えるという人も少なかったから、ちょっとスポーツができるアジア人みたいな感じの立ち位置で、みんなから知られていました。それが自分の中で自信やプライドになっていたというのも大きいかもしれません。スポーツ頑張っていれば意外と友達できるのかもしれないという、よりどころみたいなものがとても大事でした。

「世界が真逆になる」経験 ー 留学を考える人へのメッセージ

ーー 最後に、アメリカのボーディングスクール留学を振り返って、海外で学んでみたいと考えている方々へ、アドバイスやメッセージをいただけますでしょうか

行ってみると「世界」が変わります。自分の価値観が本当に変わる。なかなか伝わりにくい表現かもしれませんが、「自分の世界が真逆になる」という感覚です。海外で友達をつくったり、言語がうまく喋れない中で葛藤するときに自分と向き合ったりすること、全てひっくるめて人生が変わります。 ‎海外留学をしたいという思いがある方には、ぜひ挑戦されることをおすすめしたいです。


※内容や肩書は2025年10月の記事公開当時のものです。

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