カーネギーメロン大学コンピュータサイエンス学部・博士課程で活きた「予測力」という力

体験・経験

カーネギーメロン大学でサイバーセキュリティの最先端研究に取り組む土屋太郎氏。博士課程での研究生活は、単に専門知識を深めるだけでなく、多様なタスクを同時並行で進める高度なマネジメント能力が求められます。土屋氏が5年間の博士課程で培ってきた「予測力」――起こりうる事態を想定し、逆算して準備する力は、研究の現場だけでなく、高校・大学時代の学習から日常生活まで、あらゆる場面で威力を発揮してきました。AI時代だからこそ必要な「自分で考えて行動する力」について、具体的な実践例とともに語っていただきました。

カーネギーメロン大学(CMU)コンピュータサイエンス校で博士課程5年目の土屋太郎と申します。CMUはアメリカのピッツバーグにある大学で、コンピュータサイエンス(CS)やエンジニアリングに秀でた大学です。私はCylabというセキュリティ・プライバシーの専門機関でサイバー犯罪の大規模研究をしています。例えば、ブロックチェーンを支えるインフラ(ネットワーク、ウォレット)に対する新しい攻撃手法(DoS攻撃やドメインハイジャックなど)を見出し、それに対する防御策を研究しています。詳しくは私のウェブサイト(https://taro-tsuchiya.github.io/)をご覧ください。5年目に入ってやっと研究成果も溜まってきたので、最近はいろいろな大学、企業、学会などをまわって、研究発表をしています。いろいろな都市を訪れて、最先端の研究者の方々と交流できるのは、間違いなくこの仕事の醍醐味です。

博士(PhD)を取るというのは、「このトピックに限っては(ほんの少しでもいいから)世界中の誰よりも詳しい」というのを証明する作業です。そう聞くとなんだかワクワクしませんか?しかし、博士課程に入れても、学位取得までいけるのは全体の50%ほどで、非常に優秀な研究者が途中で去っていくのを何度もみていきました。アメリカの博士課程は日本やヨーロッパより長く、平均6年ほどかかり、これだというテーマを見つけて、ひたすら同じことを突き詰めます。そう聞くと、天才数学者・プログラマーのような一点に飛び抜けた人を想像するかもしれませんが、意外と幅広くこなせることが大事だったりします。というのも、研究の新規性というのは意外と色々な角度から作り出すことができるからです。もちろん、数学や理論に強いというのは大事ですが、私の場合は、他の研究者がやりたがらないような面倒な作業を買って出ることで、簡単に真似できない研究をしています。例えば、私の研究では、年単位でデータ収集を地道に行って、テラバイト単位(普通のパソコンの数十代分の)データベースを作り、大規模分析を行っています。

CSの博士課程はもちろんプログラミングがメインの仕事ですが、同時にいろいろなタスクを両立する必要があります。博士の初期はたくさんの授業をとりながら、先輩の研究を手伝って、研究トピックを探します。中期は、教授の授業の手伝い(ティーチングアシスタント)をしつつ、研究を成熟させていき、後期に入ると、査読者として他の論文を査定したり、論文の発表に出かけたり、後輩を指導したりします。

これらすべてをこなすために、私が大切にしているのは、いろいろな事態を想定する力、「予測力」です。例えば学会での発表があれば、原稿を棒読みするなんてことはもってのほかですから、もちろん話す内容や語彙はあらかじめ覚えておきます。しかし、一言一句暗記すると自然な感じが薄れてしまったり、前日に練習しすぎると声が枯れてしまったりするので、ちょうどよい具合を予測して準備します。また、聴衆からこんなことを聞かれるだろうなというのをあらかじめ想定して、答えも用意しておきます。発表だけではなく、懇談会のようなカジュアルな場所もチャンスの一つなので、いくつかの研究ピッチを考えておきます。学会のような大きなイベントに限らず、教授や共著者との一ミーティングでも同じことがいえます。教授から聞かれることを予測してあらかじめ下調べしておき、時間があれば教授に対して話す練習(シミュレーション)もしておきます。

これらを全て頭で管理するのは私にはできないので、私は毎週、やることリスト(To Do List)をAppleのメモに記録しています。そのリストをつくるときには、この一週間起こりうるすべてのことに対応できるために、逆算して必要なことを考えます。1日の終わりには翌日何から取り組んで行けばいいのか、優先順位を考えてから寝るようにしています。一人の人間ができる仕事量というのは限られているので、できる量を予測して、やらないことを決めることも大事です。CMUにいるとたくさん面白い研究プロジェクトがあり、どれにも手を出したくなってしまいますが、Noという勇気も大切です。

今思うと、この予測力という力は、高校や大学の生活の中でも役立つ力だと感じます。例えば、高校時代、私は数学のテストで頻繁に計算ミスを犯していました。ただ当時はかなり自惚れていて、解き方さえ覚えれば本番で対応できると思い込み、ミスをしても運が悪かっただけだと決めつけていました。本番のテストがどんな感じなのか、どんなミスが起きやすいのか予測ができておらず、準備が足りていなかったのです。大学時代に入ってからは、過去問や練習問題を解く時に、常に本番の環境にできるだけ近くして解くようにしました。現段階で本番に臨んだら、どういったことが起きるのか分かる(パニックを事前に経験できる)ので、本番でもミスが大きく減りました。

さらに大学からはじめたのが、授業の予習です。もしスライド等が授業の前にあがっていたら、軽くスライドをあらかじめ読んでおきました。それによって授業がどんなものか何となく予想できて、このスライドの時はしっかり集中して授業を聞こう、みたいなメリハリがつけられます。スライドがなくても、授業の始まる5分前に、事前にトピックをGoogle(AI)で調べたり、前回の内容をちらっと復習するだけでも、理解しやすさが格段にあがります。

予測力というのは、いわば自分で考えて行動する力のことです。この力はAIが進んだ世の中でも大事だと思っています。AIに聞けば、なんでも簡単にわかってしまう世の中ですが、自分に必要なことは、自分しかわかりません。この記事を読んで、私と同じように、やることリストを作ってみても、最初はうまくいかないかもしれません。しかし、予測を繰り返していくうちに、自分にあった型を見つけることができると思います。

土屋太郎
カーネギーメロン大学コンピュータサイエンス学部(Carnegie Mellon, School of Computer Science)・博士課程在学(5年目)。セキュリティ・プライバシーを専門とする機関Cylabに在籍し、Nicolas Christin博士に師事。主にサイバー犯罪の大規模研究を行う。第一著者の論文は、コンピュータセキュリティ、ネットワーキングで最も権威のある学会(Usenix Security, Sigmetrics, WWW)にて例年採択されている。2025, 2026年度には、同分野トップ学会(Financial Cryptography, WWW)にてProgram Committee を務めた。近年は、各大学(UCL, Cambridge, U Sydney, NYU, U Chicago)、企業(Chainalysis, TRM)、学会(SBI Summit, Japan CSS)にて招待講演を行う。中島記念財団、及びCylab Presidental 奨学生。


※内容や肩書は2025年12月の記事公開当時のものです。

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